Ed-AIが目指すもの
AIがつくるテイラーメイド教育

越塚登
東京大学大学院情報学環教授
東京大学エドテック連携研究機構長

1.はじめに

20世紀は科学の世紀と言われるように、この100年は人類の科学的叡智が莫大に蓄積された時代であり、社会も複雑度を増した。次世代を担う人々が世界でリーダーシップを発揮して活躍するためには、こうした膨大な科学的知見を身につけ自分のものとして操り、複雑化した社会に対して領域を超えた知を通じて新しい価値を創出することが求められる。こうした状況に対応できる新たな人材育成、特に優れた若手人財の仕組みの構築は、我が国の未来にとって喫緊の課題である。

一方で、「人生100年時代」を迎え、教育・学習のあり方も大きく変わろうとしている。100年もの人生があると、その途中で知識体系も学理体系も大きく変わってしまうため、人生の初期の時代(子供の時代)に集中して教育を受け、学習することだけでは不十分である。従って、成人以後も絶えず学習することは、社会におけるスキルを保つこと、また個人の人生を豊かにする上でも、重要性を増している。

2.教育・学習の民主化

基本的に親は子供の教育に熱心になり、親の教育への意欲や力の違い、また教育に対する様々な環境の違いが子供たちの教育・学習に大きな影響を与える。それは、例えば、経済格差や地域格差などが、教育に対する格差に反映されて顕在化する。国内では、しばしば家庭の経済力や、地域・コミュニティーの教育力の違いが子供の学習の成績に反映すると言われており、国際的には国や地域の経済格差、貧困、差別といった事が学習に大きな影響を与えている。我々はこうした社会的困難を乗り越えて、高水準の教育や学習環境を実現することが求められる。こうした格差を是正し、いつでも、どこでも、誰でもが、等しく高度な教育を受け、また学習できることを実現することは、私たちの社会に求められている使命である。本稿ではこれを「教育の民主化」を呼びたい。

3.EdTechによる教育・学習のイノベーションによる民主化

EdTech(エド・テック)はEducational Technologyの略で、学習を促進するために、情報通信技術などの技術と、教育理論とその実践を組合わせた取組みを指している。これまで、EdTechは教育の民主化に大きな寄与をした。例えば、インターネットによって世界中どこにいても様々な情報に即座にアクセスすることが可能になった。科学技術や社会情勢、最新に世界のニュースなど、様々な知的営為のベースになる情報源だけでなく、学術資料や教科書、教材などの教育素材へのアクセスも可能になった。言語の壁という課題はあるが、世界のどこにいても等しく情報獲得の機会が得られるようになった。また、近年EdTechを代表する取組であるMOOCs(Massive Open Online Courses)によって、世界の一流大学の講義もインターネットを経由して受講することすらも可能になった。

4.AI技術を用いたテイラーメイドな教育・学習

これらはあくまでも一方的にインターネットから情報や教材や知識が流れてくるだけあり、画一的な教育・学習環境である。さらに我々が目指すことは、各個人の目指す目標や特性に応じた最適な学習環境や教育プログラム〜すなはちこれこそが高水準の教育であり学習環境である〜、を実現することである。それを、いつでも、どこでも、誰でもが得られることを目指している。そのためには、以下の2点の実現が必要となる。

  1. テイラーメイド教育・学習の方法論の確立
  2. 大量の高水準の教師・指導者の提供

これらを同時に実現するために有望な手法がAI(人工知能)技術である。AIは、人間が俯瞰することが困難なほど膨大なビッグデータから、目的を達成するために有効な知見を導き出すことを得意とする技術である。日本や世界各地で膨大に行われている教育や学習のデータをもとにして、これから学習しようとする生徒・学生に合わせた、最適な学習教材は教育プログラムの作成またはその支援に資することができるというのが我々の仮説である。すでに先駆的な研究や実践によって、その仮設はすでに検証されつつある。膨大な学習データを人工知能関連技術によって行った分析解析に基づいて、個人の環境や目的に応じた最適の学習教材や教育プログラムを作成する。また、AIが教師・指導者となることもできるだろう。それによって、誰にでもAIという教師や指導者がつきっきりで、その人に合わせた指導をすることも可能になるかもしれない。

データの力は絶大なはずである。しかし、今の通常の学習環境・教育環境では、例えば、30人学級で、算数や数学の問題を解かせる場合に、全員に対してその学習進度に応じた出題を一人の教員が単独で実施することは実質的に不可能であろう。また、同じ問題を解く場合でも、教室の30人それぞれがどういう手順でどのよう問題を解いているかをモニタリングすることも不可能である。今の教育は、何もエビデンスを得ることができない環境を教員に強いられているとも言える。

ここで、情報通信技術の助けがあれば、個々に違う教材を出すことも、個々の生徒・学生のモニタリングも、さほど困難なく実施することが可能になるだろう。まさにエビデンスに基づいた教育・学習が可能になるのである。さらにそこで得られた学習データ(ペダゴジカルデータ)をAI技術で分析解析することで、個人に適合した教育プログラムや教材が作成できることが期待される。

5.Ed-AI研究会の活動

東京大学エドテック連携研究機構では、今回新たに、「Ed-AI研究会」を設置し、上記で述べた、テイラーメイドな教育・学習を実現するために必要な、学習データを取り出す手法や学習データを教育プログラムや教材の最適化に反映させる手法、学習者のプライバシー等に十分な配慮の上で学習データを有効に利活用する手法の確立に向けた研究を実施する。こうした、テイラーメイドの高水準教育・学習を実現するための基盤技術(これをEdTech 2.0と呼ぶ)を目指して、学術界、教育界、産業界が連携し、知見を出し合って取り組む場としていきたい。

東京大学では、先陣を切って実施してきた教育改革、特にオンライン教育、アクティブラーニング、FD(Faculty Development)、IR(Institutional Research)等の教育工学に新たな知見を加え、EdTechとしてその学理体系を強化している。また、教育や学習を支援するための極めて強力な情報学における先端技術を含むEdTechに関する知見も豊富にある。そこでこれまでの知見をスタートポイントとして、本研究会では、AI技術やデータを最大限に利活用し、我が国の教育や学習方法のアップデートを実現し、教育や学習の民主化とその水準を向上させる。さらに初等中等教育機関や政府自治体、産業界と連携し、日本の教育改革及び人材育成推進等の環境を迅速に整備していきたい。